地元の人間でも意外と知らない「幡多十景」。
旅の中で「幡多十景」という言葉を耳にして、他の「幡多十景」が気になった方。
高知県西部、幡多エリアのディープな旅を楽しみたいあなたの答えのひとつとなれたなら幸いです。
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幡多十景とは
幡多十景とは昭和28年(西暦1953年)11月16日、高知新聞社が主催となって読者投票で選定された高知県西部幡多エリアにある10の景観に優れたスポットです。
昭和28年というと、太平洋戦争の終戦から8年ほどしか経っておらず、国内の交通のインフラ整備・経済の復興もままならず、自家用車の普及はまだまだ先の時代です。
すでに発表から65年以上の歳月が経ち、年号も昭和から平成、令和へと移り変わっています。
幡多十景が高度経済成長期以前の発表だったこともあり、現在では地元の住人であっても「幡多十景」の名を聞いて全てを答えることができる方は本当に希であるのが現状です。
実際に四万十市(旧中村市)出身の私自身も、地元の名士であった親戚も含め、すべてを答えることができる方はいませんでした。
しかし、20年以上も昔よりずっと心に引っかかっていたキーワードだったことは確かです。
そして、2015年に郷土に戻ったことをきっかけに、すべての幡多十景の情報をまとめておこうと考え、4年後にやっと全てのポイントを確認し、実際に訪れてみることができました。
当時の面影のない場所もあるようですが、「幡多十景」をひとつひとつピックアップしていきましょう。
幡多地域はどこにある
出典:はた旅|(一般社団法人 幡多広域観光協議会)公式サイト
まずは幡多十景を語る前に、「幡多(はた)」とは何かを説明しておかなくてはなりません。
幡多とは、もともとは明治12年(1879年)に行政区画として発足した高知県西部の群域で、現四万十町から西側エリアを指す言葉です。
現在の行政区分では「四万十市・宿毛市・土佐清水市・黒潮町 ・ 大月町 ・ 三原村」の6市町村ということになりますが、四万十市と黒潮町の北側にあたる四万十町の一部(大正、中津川、折合、芳川、相去、烏手、大正北ノ川、弘瀬、打井川)も過去に幡多エリアだった地域となります。
なお、平成の大合併以降、住所に「幡多郡」と記載されるのは、「大月町」「三原村」「黒潮町」のみとなっています。
幡多十景は昭和28年(西暦1953年)に制定されたものですので、当時の区分で制定されており、「下津井渓谷」については現在の四万十町の一部となっている大正町に存在します。
幡多十景の場所は
こちらの地図が幡多十景の分布です。
黄色のラインで囲まれたエリアが四万十市・宿毛市・土佐清水市・黒潮町 ・ 大月町 ・ 三原村に四万十町を追加したもの。
赤い★印がそれぞれの幡多十景の場所となります。
下津井渓谷(四万十町・旧大正町)
入野海岸(黒潮町 旧大方町・入野の松原付近)
鹿島ヶ浦(黒潮町 佐賀・佐賀港一帯)
四万十川鉄橋河畔(四万十市・中村渡川)
金刀比羅山(四万十市西土佐・江川崎)
有岡城趾居部正(四万十市・有岡中筋)
平野海岸(四万十市・下田)
金刀比羅山(宿毛市・市街地北)
七日島起点小筑紫湾(宿毛市・小筑紫)
樫西海岸(大月町姫ノ井・旧月灘村)
それぞれの幡多十景をさらに詳しくみる
さらに詳しい情報や写真は、それぞれ別のページにまとめました。
下記のバナーからリンクしていますので、ご興味のある方はぜひご覧ください。
樫西海岸(大月町姫ノ井・旧月灘村)
樫西海岸(大月町姫ノ井・旧月灘村)
七日島起点小筑紫湾(宿毛市・小筑紫)
七日島起点小筑紫湾(宿毛市・小筑紫)
金刀比羅山(宿毛市・市街地北)
金刀比羅山(宿毛市・市街地北)
鹿島ヶ浦(黒潮町 佐賀・佐賀港一帯)
鹿島ヶ浦(黒潮町 佐賀・佐賀港一帯)
平野海岸(四万十市・下田)
平野海岸(四万十市・下田)
有岡城趾居部正(四万十市・有岡中筋)
有岡城趾居部正(四万十市・有岡中筋)
金刀比羅山(四万十市西土佐・江川崎)
金刀比羅山(四万十市西土佐・江川崎)
四万十川鉄橋河畔(四万十市・中村渡川)
四万十川鉄橋河畔(四万十市・中村渡川)
入野海岸(黒潮町 旧大方町・入野の松原付近)
入野海岸(黒潮町 旧大方町・入野の松原付近)
下津井渓谷(四万十町・旧大正町)
下津井渓谷(四万十町・旧大正町)