こちらのページでは幡多十景のうち、高知県宿毛市にある幡多十景、金刀比羅山を紹介していきます。
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幡多十景とは
幡多十景とは昭和28年(西暦1953年)11月16日、高知新聞社が主催となって読者投票で選定された高知県西部幡多エリアにある10の景観に優れたスポットです。
幡多十景についての情報とその他の幡多十景についてはこちらから
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幡多十景「昭和中期に選ばれた高知県西部の絶景」
地元の人間でも意外と知らない「幡多十景」。 旅の中で「幡多十景」という言葉を耳にして、他の「幡多十景」が気になった方。 高知県西部、幡多エリアのディープな旅を楽しみたいあなたの答えのひとつとなれたなら ...
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宿毛市ってどんな街
宿毛市(すくもし)は、高知県の南西部に位置し愛媛県と境を接する市です。
写真好きとしては魅力的な「だるま夕陽」などが有名です。
海の幸にも山の幸にも恵まれ、離島の観光などもできることから、県外の方に語られる回数も少なく高知の観光地としては少しマイナーながら、とても魅力あふれる市となっています。
四国の南西端に位置し、温暖な気候と豊かな自然に囲まれ、一年を通じてとても暮らしやすいところです。豊後水道に面した宿毛湾は、魚のゆりかご・天然の養殖場、といわれるほど魚種の豊富な海で、ここで獲れる魚の味は絶品です。黒潮の恵みを受けた豊かな海では、磯釣りやスキューバダイビングなどのマリンスポーツが盛んで、全国でも有数のスポットとなっております。この豊後水道に面した宿毛湾は11月から2月にかけては大変美しい冬の風物詩「だるま夕日」が見られる場所として有名なところでもあります。
また、豊かな歴史と文化を築くなかで、早稲田大学の前身である東京専門学校の設立に中心的な役割を果たされた小野梓氏や株式会社小松製作所(コマツ)を設立された竹内明太郎氏、外相を経て五度内閣を組織し、戦後の日本復興に尽力された吉田茂氏、現代洋画の巨匠である奥谷博氏、最近ではソプラニスタの岡本知高氏や豊ノ島関など多くの人材を輩出しています。
出典:高知家で暮らす。─ 宿毛市 ─
幡多十景「金刀比羅山(こんぴらやま)」宿毛
今回の幡多十景「金刀比羅山」ですが、地図などで確認すると「本城山(ほんじょうざん)」の山上にある「金刀比羅宮」のことのようです。
本城山の場所は宿毛市の中心部にあり、市役所の裏手に見えます。
国民的アニメーション「ドラえもん」に登場する「学校の裏山」みたいなポジションで想像していただけると分かりやすいです。
実際、麓には県立宿毛高校と市立宿毛中学があります。
大きな駐車場は用意されていないため、私は平日に市役所の職員の方に確認し、裏の駐車場にバイクを止めさせていただき参拝(&登山)しました。
市役所の裏手にある駐車場から奥(北側)に見える山が本城山(標高253.9m)。
その麓から少し登ったところに見える建物が宿毛天満宮です。
宿毛天満宮より真直登した付近に見える送電線の鉄塔。そこから右手の稜線上を登ったところに金刀比羅宮があります。
本城山・金刀比羅宮の歴史とは
宿毛の中心街からほど近くにある253.9mの低山です。
低山と言っても海抜の低い宿毛市ですから、頂上まで登る場合には約1.3kmほどの行程となります。
宿毛市観光協会の資料によると、文禄元年(1592)に宿毛の領主となった長宗我部元親の家臣である「野田甚左衛門」が松田城を居城としました。
その城内鎮護のため、城の背後の山頂に金毘羅大権現を祭ったのが、宿毛金刀比羅宮祭祀の起源と言われています。
しかし、幕末に祭主だった宿毛山内家(維新後の名は伊賀家)が宿毛を去ったことで、一時的に廃神社のようになっていたこともあったようです。
その後の明治11年。
宿毛の村民・平井友蔵に金毘羅宮の祭神・具毘羅(ぐびら)神のご神託が下がるという事件があり、村人総意により再興を決起。
大変な苦労の末に明治12年の春に新築した金刀比羅宮社殿に、讃岐金毘羅宮(香川県琴平町)から奉戴した御分霊を鎮静したと記録されています。
現在の社は昭和43年秋の建て直しを経て、現在に至っています。
江戸時代には、領主の宿毛山内家の自祭神として、一般住民は入山不可とされていました(宿毛領主の“いざ”というときの隠れ家、本陣を置く場所として秘匿されていたとの説があります)。
毎年10月に行われる「市民祭宿毛まつり」において、ふもとの町からお宮まできつい参道を全力で駈け上がる奉納行事「こんぴら男」の舞台となっているようです。
更に詳しく知りたい方は平成5年10月10日発行の「宿毛金毘羅宮勧請由来記 小説 武平山の風 神栄社」岸本雅利著に記載されています。
豆知識・金毘羅大権現について
ちなみに主祭神の金毘羅大権現は知っての通り、「大物主大神(おおものぬしのおおかみ)」です。
日本の神話を紐解くと金毘羅大権現こと大物主大神には、様々なエピソードや別名があって興味深い神様です。
簡単に触れると、大物主大神は大穴持(大国主神)の和魂(にきみたま)であるとする説が主流。
日本書紀では大国主神(おおくにぬしのかみ)は高天原(たかまがはら)の天津神(あまつかみ)の3兄弟、スサノオの息子で国津神(くにつかみ)という地上の神々の代表神となっています。
海の守り神であることが有名ですが、国造りの神、農業神、商業神、医療神と様々な豊穣の神としても祀られています。
反面、大国主神は雷神としての性質を持ち、中世には武神・軍神としても祀られていました。
根の国(黄泉の国)にいたこともあり、そこでは八千矛神(やちほこのかみ)という武神であったり幽冥界の主でもあり、祝詞などでは幽世大神(かくりよのおおかみ)とも呼ばれます。
「大国」はダイコクとも読めることから同じ音である大黒天(大黒様)と習合され、比較的歴史の浅い神社では七福神の「大黒様」が祀られていることもあります。
なお、大黒天はヒンドゥーのシヴァ神の化身マハーカーラー。
マハーカーラーは戦闘・財福・冥府を司るということで、神格や意味が一致しているという説もあり、「マハー」が「偉大な」、「カーラ」が「暗黒」の意なので、直訳で大黒天ともなるようです。
※全く違った神様であるという説もありますが。
私自身は宗教家や歴史家ではないので、実際のところは各神話の神々の繋がりについて確証はありませんが、いろいろと調べてみると物語を紐解くようで寺社巡りが楽しくなりますよ。
本城山のルート
今回のルートです。
ジオグラフィカという、登山好きの方には有名なアプリをiphoneにインストールしてログを取ってみました。
このアプリはオフラインに地図をダウンロードして、機内モードGPSのみONで使えるので、バッテリーの消費を抑えつつスマートフォンをGPS代りに使えます。
下の◎が市役所。下の鳥居が「宿毛天満宮」。
矢印が付いている部分が展望ポイント。
ポイントマーカーがある鳥居が「金比羅宮」です。
いざ金比羅宮へ
市役所から住宅街の中を5分ほど歩くと、宿毛天満宮の参道の階段が見えてきます。
中央の赤い手すりのある階段が天満宮の参道。
右手の草の生えている階段が金刀比羅宮の参道です。
少し文字が消えていますが、天満宮の階段左手に「参道入口」の看板があります。
ここからは金刀比羅宮を目指して、1kmほどのハイキングです。
本格的な登山靴までは必要ないですが、せめてスニーカーなどのスポーツシューズはあった方がよいと思います。
一応、定期的に除草作業などは行ってくれているようですが、初夏ですから雑草は雨が降るたびに一気に伸びてきますね。
実はこの道を使わなくても、天満宮まで階段で登り裏に回るくことで少しショートカットできる道もあるのですが、今回は正しいコースで登ります。
100mも歩くと林間となり、雑草も少ない緩やかな山道となります。
夏場は蚊が多いですので、虫除けやハッカスプレーなどを使っておいた方が無難です。
私はすっかり忘れており、首や顔、手などの5、6ヶ所をやられました。
また、初夏から秋までの山ではマムシなどにも気をつけましょう。
何かのときには、トレッキング用のポールなどがあると便利です。
登り始めてすぐ山側に「こんぴらさんまで 900米」の表示があります。
道は登山道としては緩やかですが、そこそこの坂です。
トレッキングや登山好きには楽な道ですが、普段から歩きなれていない方だと少しキツく感じるかもしれません。
しばらく歩くと丁字路になっており、左が金刀比羅宮です。
ちなみに右に行くと宿毛天満宮の裏につながっています。
丁字路の周辺は木々が開けており、日光が多く差し込むためか雑草の成長が早いようですが、左に曲がって少し歩くと、写真のような歩きやすい登山道に変わってきます。
こちらは参道から振り返って麓側を見た景色です。
新緑の森を歩くのは気持ちが良いですね。
そこから200m程度登ると、左側に展望が開ける場所があります。
地図でいうと、景色が開けるのはこの付近のポイントです。
※パノラマ合成しているので写真画質は落ちています。
眼下には宿毛駅から片島方面が見渡せます。
左にある木の枝下に覗く、水色の建物が「宿毛駅」。
中央の緑の山のように見える部分で、手前の小さな山が「片島」。
奥の建物が立っている方が「大島」。
海に浮かぶ島は「鵜来島(うぐるしま)」です。
大島までは地続きになっており、車やバイクで訪れることができます。
大島の建物は宿泊施設で日帰り入浴も可能なので、ハイキングで汗をかいたら立ち寄ってみると良いでしょう。
ここの海を見下ろせる露天風呂はロケーションが最高です。
鵜来島も片島からフェリーで渡ることができます。
展望スポットから数メートルだけ坂を登ると少し開けた場所があり、休憩ができるベンチと記念碑があります。
現在の金毘羅宮は昭和43年11月5日に建て直されているようです。
幡多十景が提唱されたのは昭和28年ですので、当時に見ることができた金毘羅宮はまた趣の違った社だったのでしょうね。
ここから先の参道、約200mは稜線上のため傾斜も少なく広くなっています。
非常に歩きやすく、木漏れ日の中を歩ける雰囲気の良い区間です。
ここから一気に神社らしく神秘的な雰囲気になります。
稜線の参道を突き当たりまで歩くと、苔むした参道の正面に手水舎(ちょうずや)が目に入ります。
現在は分かりませんが、昔は麓から水を引いていたのかも知れません。
明治14年、宿毛市栄喜の海岸にあった「臼礁(うすばえ)」という名の岩が寄進され、手水鉢はその岩で作られているとのことです。
手水舎の脇にはレトロな街灯もあり、電線も通っているようです。
この辺りは紅葉の木が多く、秋に訪れても景色を楽しめると思われます。
手水舎から左を見ると、立派な石の鳥居と境内まで続く石段が見えます。
この石造りの鳥居は大正8年6月に設けられたようです。
鳥居をくぐると少し空気が変わったような印象を受けます。
石段を登ると正面に待っている金刀比羅宮の本殿。
小さいながらも趣のある佇まいです。
定期的に手入れはされているようで、しめ縄なども綺麗に保たれています。
多くの神社に設置されている狛犬の石像。
ここでは参道の前ではなく、本殿の正面に設置されていました。
他の神社と同じく左側の「阿形(あぎょう)」が口を開いており、右側の狛犬像が「吽形(うんぎょう)」が口を閉じています。
角がないので、おそらく昭和になって造られたものだと思います。
建物の横には社務所も設置されています。
傍にある絵馬は2018年(取材は当時)のものになっているので、常に人がいるわけではありませんが、地元の皆様によって、しっかり守られているという印象を受けました。
本殿から右手に入ると、小さな神池と末社があります。
池には赤い小さな鯉が泳いでいました。
おまけ・本城山の頂上へ
さて、幡多十景としての「金刀比羅宮」はここまでですが、せっかくなので本城山の頂上まで登ってみることにします。
本殿の左手にある細い道を登っていきます。
手入れはされていますが、こちらは人通りも少ないせいか少し荒れています。
最後のラストスパートはかなり急な坂です。
落ち葉で足元が滑りやすいので、ポールや杖がほしいですね。
頂上には小さな祠(ほこら)と三角点があります。
山神の大山祇命(おおやまつみのみこと)を祀ったものであるとのことです。
ここが本城山の頂上で253.9mになります。
東南東側に少し展望があるという情報もあったのですが、季節のせいか当日は展望は開けていませんでした。
帰路は天満宮横に抜ける道を通ってみました。
こちらの方はやや坂は緩くなっています。
こちらは春の桜スポットとして地元で親しまれている宿毛天満宮です。
御祭神はご存知の天神さまこと菅原道真公となっています。
幡多十景 「宿毛 金刀比羅山」へのアクセス
参道入口までは宿毛市役所から徒歩5分。
麓から各ポイントまでの所要時間は下記のような感じです。
注:普段は運動不足気味なアラフォー男性(ただし、そこそこ山の経験あり)
写真のビューポイントまで:25分
金比羅宮まで:30分
本城山の山頂まで:45分
その他の幡多十景との位置関係はこちら
まとめ
宿毛市の幡多十景「金刀比羅山」。
少し登坂がきつい部分もありますが、本格的なトレッキングが好きなかたには物足りない程度のハイキングコースです。
ただ、もしものために携帯電話、飲料水、行動食(おやつ)くらいは持っていったほうが余裕を持って楽しめるはずです。
個人的には宿毛の市街地の裏山でありながら、歴史を感じ、趣のある風景を楽しむことができる興味深い幡多十景でした。
現在はあまり有名な観光地ではありませんが、幡多地域を訪れる山歩きが好きな方・寺社めぐりが好きな方にはオススメです。
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幡多十景「昭和中期に選ばれた高知県西部の絶景」
地元の人間でも意外と知らない「幡多十景」。 旅の中で「幡多十景」という言葉を耳にして、他の「幡多十景」が気になった方。 高知県西部、幡多エリアのディープな旅を楽しみたいあなたの答えのひとつとなれたなら ...