高知県四万十市中村(旧中村市)のランドマーク「赤鉄橋」こと四万十川橋。
この周囲の景色が幡多十景になっています。
特に現地では「幡多十景」としては語られておらず、地元の人間でも意外と知らない方が多いです。
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幡多十景とは
幡多十景とは昭和28年(西暦1953年)11月16日、高知新聞社が主催となって読者投票で選定された高知県西部幡多エリアにある10の景観に優れたスポットです。
幡多十景についての情報とその他の幡多十景についてはこちらから
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四万十市とは
高知県西部の中心都市で、高知市、南国市に次ぐ高知県第3の都市です。
中心街となる中村は平成の大合併により中村市だったエリアとなります。
中村の始まりは1468年(応仁2年)9月、応仁の乱で土佐に下った一条教房(いちじょう のりふさ)が、海路土佐に下向し、幡多荘に入ったことから始まります。
その後、幡多荘の中心となっていた中村に邸宅を構え、中村館、幡多御所などと呼ばれたことから、現代も四万十市の中村は土佐の小京都とよばれています。
1946年(昭和21年2月21日)の南海地震で市街地が被災したため、古い町並みは殆ど残っていませんが、大文字焼きなど色々な風習が残っています。
赤鉄橋こと四万十川橋とは
この鉄橋は暴れ川としても有名だった四万十川に1926年(大正15年)完成しました。
橋が完成するまでは四万十川を渡し船を使って往来するのが常識で、嵐の日には川を渡ることができす、雨が上がっても増水した川を船で渡るのは非常に危険な行程でした。
記録に残っているところでは1915年5月12日、地元の学生を含む11人がなくなるという事故がありました。
この事故がきっかけとなり、四万十川に橋がかけられることとなり、1924年に工事に着工。
1926年6月30日に凡そ438m。有効幅員5.5mの鉄橋が建設されました。
当時、中村町(後の中村市の前身となる)の年間予算が9万円前後だった頃。
その5〜6倍の50万円の総工費をかけて完成した四万十川橋。
当時としては四国で最も大きな鉄橋だったようです。
完成時には人口1万人だった中村に10万人もの見物人が押し寄せたという記述があります。
当時は高速道路もなく、国道も狭かったはずで、大規模な交通網といえば国鉄のみ。
高知から見物に来るだけでも相当の苦労が必要だったと想像できます。
ちなみに現在の赤鉄橋は鋼橋トラス橋で全長約508m。
1946年(昭和21年2月21日)に発生した南海大地震により、1度は落ちて修復されたため、2代目の橋になります。
昭和28年(西暦1953年)11月16日に選定された幡多十景ですので、当時の建築物としては突出していた「四万十川橋(通称:赤鉄橋)」の風景が選ばれたのは必然だったといえるでしょう。
瀬戸大橋を始めとする本州四国連絡橋も存在する現代では、この橋は特別なものではないかもしれません。
今となっては大型トラックの車がすれ違うのは厳しいような、少し狭くて古い橋ですが、中村の街のランドマークとして静かに四万十川の流れを見下ろしています。
四万十川鉄橋河畔の四季
現在の四万十川鉄橋河畔は観光地としてのネームバリューはそれほど高くはありません。
それでも四季折々の景色を楽しむことができ、地元の憩いの場所となっています。
四万十川の春景色・鉄橋河畔の菜の花
春になると赤鉄橋の河川敷の北側から入田にかけて、たくさんの菜の花が咲き乱れます。
街も菜の花祭りを開催し、観光開きを行います。
四万十川の夏の風物詩・花火と四万十川鉄橋河畔
毎年、8月の夏まつりで花火大会の舞台となるのも赤鉄橋です。
幡多エリアのみならず、高知方面からも観覧者が集まり、大会終了後には数キロの渋滞が起こるほど。
近年では音楽にのせて花火を打ち上げるなど、凝った演出も楽しめます。
堤防の上や坂で観覧する方が多いので、レジャーシートやキャンプ用の折り畳みの椅子があるとより楽しめます。
※コロナ禍により、2020年・2021年は中止となりました。
四万十川の秋景色・彼岸花と夕日に染まる鉄橋河畔
秋になると赤鉄橋から少し上流の入田には曼珠沙華(彼岸花)が咲き乱れます。
また、綺麗な夕日をバックに赤鉄橋を楽しめる時期でもあります。
四万十川の冬景色・鉄橋河畔の雪化粧
「四万十川鉄橋河畔」へのアクセス
・四万十市中村の市街地より徒歩5分
その他の幡多十景との位置関係はこちら
まとめ
中村の市街地から宿毛方面に抜ける出口になるところにあり、
四万十の市街地に宿泊されている方なら、歩いてでも簡単にアクセスできます。
観光の際には、宿から出発する前やチェックイン後ののんびりと歩くのが良いでしょう。
四万十市中村の町から夕日や朝日を眺められるスポットとしても好適地。
日の出頃には西の渡川緑地側、日の入りの頃には市街地側がオススメです。
渡川緑地奥には無料のキャンプ場もあり、連休にはキャンパーやツーリングライダーで賑わいます。
ちなみに「渡川」というのは四万十川の別名で、平成6年までは渡川が本当の名称でした。
このあたりの経緯は、また別の機会に書いてみたいと思います。
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